朝鮮通信使展 名護屋城博物館-エンタメニュース 佐賀新聞の情報コミュニティサイト


九州大生と連携企画、朝鮮通信使展 名護屋城博物館-エンタメニュース 佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの




03月03日更新


 九州大学の学生が江戸時代の朝鮮通信使をテーマに企画した「通信使海道展」が、唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館で開かれている。同博物館と九州大総合研究博物館(福岡市)が連携。朝鮮から来日した通信使の足跡や、その渡航にかかわった唐津藩に関する資料49点を紹介し、日朝両国の交流を深めた当時の人々の歩みをたどる。


 朝鮮通信使は室町時代から江戸時代にかけ、捕虜の返還や国情視察、文禄・慶長の役(1592〜1598年)以降の国交回復などを目的に来日した使節団。玄界灘、瀬戸内海を航行、大阪からは陸路で江戸を目指したとされる。


 同展では日朝を結んだ海の道を「通信使海道」と名付け、江戸時代に12回往来した通信使を紹介。同博物館所蔵の資料を中心に「通信使とは」「通信使の足跡」「文化8(1811)年の通信使と唐津藩」の3部構成で展示している。


 「朝鮮紀聞」は通信使の服装や楽器、武器などの持ち物を描いた”図鑑”で通信使の全体像が推察できる。大阪から京都の淀まで幕府の船で川を上ったとみられる一行の「御楼船(ごろうせん)図屏風(びょうぶ)」(個人蔵)は、船頭が縁起が良いとされる亀甲模様の衣装を身につけるなど幕府のもてなしの気遣いがうかがえる。


 唐津藩関連では、船の運航に従事した船手(ふなて)に関する資料を初公開。「対馬来聘(らいへい)御用役人船団一行」は唐津藩の船手の子孫宅に残された絵図で、文化8年に最後の通信使を対馬で歓待するため、幕府の使節団を呼子から壱岐まで運んだ船手の様子が描かれている。


 寄港地の鞆(とも)=広島県=で大量生産された朝鮮詩書徳利なども展示。当時は外国文化に触れる機会が少なく、通信使との出会いに刺激を受けた民衆や商人の様子を映し出している。

 ▽4月4日まで。21日に同館学芸員の講演がある。開館は午前9時〜午後5時。月曜休館(22日は開館し、翌23日が休館)。観覧無料。