スラックス・トラウザーズとチノパンの違いは?

インド製の綿織物が、ついにチノと呼ばれる時がやってきます。19世紀にカリフォルニアなど、スペインやメキシコの植民地であった米国西海岸をうばっていった当時のアメリカ合衆国は、最終的に米西戦争にも勝利して、スペインのアジアにおける植民地であったフィリピンをも米国の植民地化してしまいました。 そうすると、当然本国から軍隊を送り込むことになるのですが、まぬけな米軍はほほ冬支度というか、冬季の装備の状態でフィリピンに乗り込み、熱くてどうしようもないので、イギリスに頼みインド製のツイル地を中国経由でフィリピンに送ってもらい、それから、いつともなく、現地のアメリカ兵からチャイナがなまって”チノ”と呼ばれるようになったのです。

 つまり、”チノパンの本質は、ミリタリーにあり、軍服にこそある”のです。

 第二次世界大戦時、米国は現在のイラク、アフガンへ派遣している約13万人の兵力の10倍以上の人数を欧州及び、アジアに送り込み、しかもその大半は、高卒の若者達でした。彼らは、文字通り世界を全体主義から解放した自由主義のヒーローとして帰国し、また当時の米国政府は、その功に報いるため、GIビルというファンドを立ち上げ、帰国した兵隊の多くを大学に進学させたのです。 その時代、アメリカのゴールデンエイジとも言える50年代から、60年代にかけての多くの帰還兵、にわか大学生の世代のリーダーとなったのが、JFケネディであり、ブッシュの親父であったのです。ご存知とは思いますが、二人とも太平洋で日本軍と戦い、死にかけているのです。 そうして、彼らが大学に入ったときに、キャンパスに持ち込んだのが、かつての日常着であった、軍服のチノパンツであったのです。(当時は、ブルージーンズは、野良着という社会的位置づけヶでしたので、キャンパスには不適と考えられていました。ならばチノパンならば文句はなかろう、という空気もあったようです。)そして、米軍は軍隊の下っ端は、クルーカットとか、GIカットの短髪でなければならなかったのですが、この短髪も帰還兵の若者がキャンパスに持ち込んだものなのです。 これらこそが”アイビー”の実態であり、本質でもあり、また男の服飾の本質そのものでもあります。

つまり男の服の本質は、ミリタリーとキャンパスにあるのです。










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