日本軍を驚かせたほど、学問的にも人格的にも優れた実力を持った人であったという

日本の九州の熊本市にある本妙寺に朝鮮人の痕跡が残っている。それは本妙寺の第3代目の住職であった”日遥上人”の墓であるが、”日遥上人”は幼いとき、加藤清正によって朝鮮から日本に連れて来られた”余大男”という朝鮮人であった。彼が日本の捕虜になったのは、彼の故郷である河東(韓国南部)の近くの晋州城(韓国南部晋州)が、日本軍に完全陥落された直後の1593年7月のことで、”余大男”は13歳であった。外国人でありながら28歳という若さで住職になった彼は、日本軍に捕まった時も、中国(唐)の詩人”杜牧”の山行詩を詠んで日本軍を驚かせたほど、学問的にも人格的にも優れた実力を持った人であったという。本妙寺には今も江戸時代に描かれた彼の唯一の肖像画と遺物である3通の手紙が保管されている。手紙は、1通は彼が日本に来て27年が過ぎた1620年、彼の父から初めて送られたもの。そしてもう1通は、それから5ヶ月過ぎた後、”余大男”が父親に送った返事の下書きであった。最後の1通は彼が父に返事を送ってから2年が過ぎた1622年に、再び父親から送られて来たものであつた。手紙には父と息子の切ない思いが長く綴られていた。









韓日歴史座談会