「中進国マインド」

人を学びに向かわせるのは知的な向上心であり、さらに言えば知的な「飢え」である。

私たちは大学が用意する「定食」にはほとんど食欲を示さなかったが、その代わり別の場所でがつがつと知的資源を貪り喰っていた。

いまの大学生たちには、「知的な飢え」が足りない。

私はそれが悪いと言っているのではない。

そういうものだ、と申し上げているのである。

私たちが子どものころにがつがつと勉強したのは、端的に日本が貧しい国だったからである。

事態はアメリカでもEUでも変わらない。

がつがつ勉強するのは、どこでも移民とその二世三世たちである。

「中進国マインド」をもっている子どもはよく勉強する。

「先進国の子ども」にはもうそういう向上心がない。

属人的な決意の問題ではなく、構造的に「ない」のである。

「勉強なんかしなくていいよ」「勉強なんかするなよ」というネガティヴなイデオロギー圧が瀰漫しているので、個人のレベルではよほどの理論武装がないと、これに抗しきれないのである。

これはしかたがない。

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きありと古歌にもいうように、先進国になったら、次の仕事は「没落すること」だからである。










暑いよお (内田樹の研究室)