教育は、社会がそのシステムを維持するための手段なのである

教育は誰のものか

決して選別を批判するわけではない。選別は必ず必要なものだ。

教育を「良き物」「素晴らしいもの」と考えていては、本質を見失う。ありのままに見なければならない。教育は、個人の成長だけを目的にしたものではない。

社会学者のデュルケムは、大学での講義で次のように述べたという。

「教育とは個人の利益を主な目的とするものではなく、社会がその存続のための諸条件を更新する手段である」

デュルケムらしい言葉だ。我々は、将来の自分の利益のために、教育を受けるわけではない。教育は、社会がそのシステムを維持するための手段なのである。











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