(朝鮮半島や中国に劣るという、自虐史観)からは、受け入れられないわけです

 実は、これは朝鮮半島の歴史家も認めている事実ですが、かつての朝鮮半島に存在した「新羅」の第四代王は、日本列島からの放浪者(追放者?)でした。何しろ、高麗時代に書かれた正史である三国史記三国志ではありません)に、

「脱解(新羅四代王)はそもそも多婆那(タバナ)国の生まれだ。その国は倭国の東北一千里にある」

 と、書いてあるのです。

 倭国(九州もしくは大和)の東北一千里(朝鮮半島の一里は四百メートルくらい)ですから、脱解の出身地は鳥取から新潟にかけたどこかになります。

 日本列島から流れていった脱解は、「賢者である」として新羅二代王の娘を嫁にもらい、三代王(奥さんの兄弟)が没した後に、遺言に従って新羅第四代王になりました。彼は「昔(セキ)」という姓を名乗り、しばらく彼の子孫が新羅王になり続けます。新羅時代における名君「伐休(バリュ)王」も、脱解の子孫(孫)になります。

 また、三国史記の異説を取り上げた三国遺事にも、全く同じことが書いてあります。(脱解が日本列島からの渡り人であること)

 ちなみに、先に朝鮮半島(南北共に)の史家たちも、上記の事実を認めていると書きましたが、例により「日本列島に存在した韓民族の植民地」から流れてきたのが、新羅四代王であると主張しているわけです。まあ、この辺の誇大妄想的な半島人のファンタジーはいつものことですが、この種の妄想をしなければ彼らのプライドが保てないほどに、明確に「三国史記」(及び「三国遺事」)に、新羅第四代王は、日本列島からやってきたと書いてあるのです。

 

 ところが、この事実について、日本国内の日本人の朝鮮史家たちが、黙殺を続けているのです。

 何しろ、新羅は唐と結び、半島初の統一王朝になりました。その王家に日本列島からの渡り人の血が混じっているというのは、半島人には我慢がならない事実でしょう。

 だからこそ、「日本列島にあった韓民族の植民地からやってきた」とか、妄想ファンタジーを半島の『歴史家』たちは主張しているわけです。とはいえ、半島の歴史家たちが何を言おうが、彼らの勝手です。(単に、世界中から笑いものにされるだけの話なので)

 しかし、日本人の歴史家たちまでもが沈黙を続けるのは、理解できません。戦後、皇国史観排除の影響で、この手の「事実」さえも、歴史家たちは普通に語ることがなくなってしまったわけです。

 韓国人は、

「日本の天皇家は朝鮮半島から行ったんだ!」

 などと、根拠もなしに妄想ファンタジー全開で叫んでいますが、実際には朝鮮半島の王朝が、日本列島からの渡り人の子孫だったのです。何しろ、正史「三国史記」にそのように書いてあります。

 と言うか、この種の事実があるからこそ、朝鮮半島の歴史家たちが、事実を裏返して「日本の天皇家は韓民族」などと、コンプレックス丸出しのことを叫び続けているのだと思います。

 歴史とは、事実の積み重ねです。事実が上記の通りでありながら、日本人の歴史家たちは「事実から目を逸らし」、絶対的価値観に基づいて歴史を語っているわけです。まさしく、戦後の日本人の問題が、露骨に表れていると思います。

「新羅の王家は、日本列島からの流れ者の子孫」

 などという事実は、彼らの絶対的価値(日本は朝鮮半島や中国に劣るという、自虐史観)からは、受け入れられないわけです。











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