漢文で書かれた社会科学や自然科学関係の書籍は、あまりにも少ない


儒教を知らない学者の「儒教文化圏」論




東アジア地域の経済急成長の秘密を「儒教文化」や「漢字文化」に求める学者は、ほとんど漢字や儒教の知識に一知半解な場合が多い。これら学者に共通の漢字文化に対する理解は、少なくとも二つの大きな現状認識が欠落している。


漢字については、例えば、日本人と中国人は「筆談」できると思い込んでいる点だ。


しかし、漢文の体系は、きわめて不規則、不安定な文章体系で、文法、単語の配列も不規則である。同じ漢語系の人々の間でさえも、漢語はもちろん、漢文についても、ことに今世紀に入ってからの口語文対(白話文)は、正確に意思を疏通するのに困難なコミュニケーション・メディアなのだ。


だから、漢字、漢文は、むしろ中国の教育、発展のブレーキとして働いており、大文豪の魯迅は死ぬ直前、「漢字が亡びなければ、中国は亡びる」と極言したぐらいだ。


漢字文化圏論者は、もう一度、魯迅の遺言を再検討してみるべきだろう。


そのうえ、中国だけでなく、台湾や香港の大学生は、中国の古典文学を除いて、ほとんどが欧米ソ日各国の原書で学ぶのである。今日になっても、漢文で書かれた社会科学や自然科学関係の書籍は、あまりにも少ない。漢字文化はすでに死んでおり、学問的レベルからみれば、小・中学生の識字程度の文化体系にすぎないといっても決して過言ではない。


さらに、儒教文化や漢字文化を経済成長と結びつける見方の最大の泣き所は、儒教文化の本家本元の中国の経済成長の遅れを説明できないところにある。



『それでも日本だけが繁栄する』 黄文雄 p182〜183