オープン・システムである ギリシャ文明は典型的な都市文明で、多様性に富む文明ではない


「日本文明」は、閉ざされた諸文明の仕組みとはちがって、オープン・システムである




ギリシャ文明は典型的な都市文明で、多様性に富む文明ではない。彫刻があっても絵画がない、ドラマはあったけれども小説はない、巨大な神殿はあっても美しい庭園はない。


日本文明はギリシャ文明にくらべ、彫刻も、絵画も、寺廟も、庭園もある。工芸にも優れ、詩も、歌も、ドラマも、小説もある。さらに書道も、花道も、茶道も諸芸諸能はほとんどそろえ、文化と称されるものならなんでもある。これほど多様性に富む文化国家は、日本以外には類例を見ない。



東京ではフランス料理からインド料理、トルコ料理からバングラデッシュ料理まで味わうことができる。こんな都市は世界にない。


日本文化はそれほど多様性を持ち、人種のるつぼといわれる多人種、多文化のアメリカ社会と比べても遜色はない。ヨーロッパは多民族、単一文化の社会だが、日本はほぼ単一民族、多文化の社会といえよう。



日本文化の特色について、九鬼周造氏は『いきの構造』のなかで、次のように指摘している。


「日本人の同化力に基づいて、外来文化を受容し、集大成して文化が複雑性または重層性を手にしている」


「日本文明」は、外来文明の受容について、有史以来、強制されたことがない。中華文明については、いつも自主的に遣隋使遣唐使を送り、西洋文明についても、自主的に欧米使節団を派遣し、積極的に外来文明を輸入したが、必要な要素だけを選び、纏足、宦官のようなものは捨てている。そのうえ文化を選別して、たとえばイギリスから政治、フランスから芸術、ドイツから法律、軍事を導入した。一夜にして文化、風習を大転換したからと言って、内戦が勃発したことは一度もない。それは、文化の受容を強制されないからできるのである。



だから、「日本文明」は、中国文明のように「栄枯盛衰」がなく、縄文時代から、時代と共に、次から次へと新しい発展をしてきた。ハイテク時代になったからと言って、「日本文明」は淘汰されることなく、ますますその優越性を発揮していくだろう。



この「日本文明」の性格を知るには、明治以後の軍国主義への突進と、敗戦以後の経済主義への転進という素晴らしい対応力を見るとわかりやすい。



「日本文明」は、閉ざされた諸文明の仕組みとはちがって、オープン・システムである。



そうだから、異文明の流入も、「日本文明」の流出も、開放的で自由で独善的ではなく、多様的になり、総合的になる。


諸文明のなかでは、「日本文明」ほど新旧共存、東西共有の複合的、多面的な文明はない。それは「日本文明」が閉ざされた体系ではなく、開かれた体系から生まれた歴史的所産であるからだ。


『それでも日本だけが繁栄する』 黄文雄 p191〜192