野球賭博がマスコミに叩かれているが、個人的にはそれ程悪いことだとは思っていない

琴光喜に始
まる大相撲関係者の野球賭博がマスコミに叩かれているが、個人的にはそれ程悪いことだとは思っていない。なぜなら、個人の金で賭博をしたからといって、他
の誰かが困ったわけでも、公共の福祉を害したわけでもないからだ。

確かに法律で野球賭博は禁止されているが、巨大脱法賭博であるパチンコ
の社会的な害悪に比べれば、個人レベルの無害な野球賭博など大騒ぎするに値しない。力士が違法賭博をしても、パチンコのように主婦が売春に追い込まれるわ
けでも、借金を苦に首を吊るわけでも、一般家庭が破滅するわけではないからだ。相撲を神事として見れば、力士の品格が問われる場合もあるだろうが、パチン
コが良くて野球賭博がダメな明確な理由は、法律的な問題しか存在していない。

海外ではブックメーカーと言って、何の試合でも賭博の対象に
する賭博会社が存在している。賭博行為自体が世界共通の普遍的な悪ではなく、今回の騒動は、日本の法律で禁止されている賭博を行ったので、ささやかな問題
となっていると考えるべきで、マスコミの煽りを真に受けて、NHKに相撲中継の中止を意見する人間は、正直、馬鹿丸出しもいいところだと思う。本人は良識
ぶって使命感を持ってやっているのだろうが、誰の役にも立たないし、社会にも何ら貢献しない。マスコミ報道の勢いに便乗して、弱者を叩いて満足している、
単なる相撲協会イジメなのではないだろうか。

国のため公のために役に立てば、イジメでも何でも意義があるが、巨大脱法賭博のパチンコ店が
堂々と駅前に軒を連ね、パチンコの台メーカーがテレビCMまで出している世の中で、ささいな個人賭博を執拗に叩いて正義感ぶるのはとんだ偽善だと感じてし
まう。子供への影響云々言う人間もいるが、パチンコの出店を無制限に認め、テレビCMを流している現状の方が遥かに問題だろう。

苦境に立
たされている相撲関係者を庇う気も義理もないが、相撲関係者の野球賭博より、国民を騙して政権交代させたマスコミ各社の方が数万倍も罪が重く、道義的責任
が大きい。野球賭博で国は傾かないが、マスコミが仕組んだ政権交代のおかげで、日本は国が実際に傾きつつある。こんな連中に相撲協会を批判する資格がある
のか、甚だ疑問を感じざるを得ない。相撲関係者は厳重注意のレベルだが、マスコミ関係者は東京湾に沈められるレベルである。

野球賭博が悪
いというのならなぜ胴元の暴力団を家宅捜索しないのか、この辺りの警察の対応もかなり曖昧だ。力士以外の各界著名人の名前が出てくるから、胴元を押さえら
れないのだろうが、相撲協会だけを叩いて詰め腹を切らせる意図が見えなくも無い。相撲協会に責任を取らせても野球賭博自体は無くならず、胴元もペナル
ティーを払わない。

相撲協会がなんらかの責任を取っただけでこの問題が終わったと考える方がおかしいが、マスコミは相撲協会が一応のけじ
めを付けた時点で、騒動の幕引きを図ることだろう。そして一般市民も何事もなかったようにこれを受け入れるに違いない。これが世の理(ことわり)と言って
しまえばそれまでだが、人間というのは自分で考えている以上に愚かで単純な生き物なのかもしれない。

メディア時代のマスコミと国民の関係
は、まるで羊飼いと羊のような関係だが、これではマスコミ関係者の鼻が高くなるのも頷ける話である。インターネットの普及で羊飼いにツバをかけたり文句を
いったり、羊飼いの指示を無視する羊が増えてきたが、まだまだ数が不十分だ。多くの羊が、羊飼いは良い人で正しいことだけを言う立派な人だと信じ込んでい
る。実際には羊の半分も脳がなく、3分の1も良心がないのに、である。

賭博というのは一時的に勝つことはあっても、トータルでは胴元が勝
つようになっているので、馬鹿なことをしたなと思うが、まあ、マスコミが悪い悪いと騒ぎ立てれば悪く感じられるのがマスコミの恐ろしいところ。羊飼いの指
示で飛び跳ねる羊たちの馬鹿さ加減よ、といったところだろうか。個人賭博の過ちは親の仇のように執拗に叩かれても、本当の巨悪であるマスコミやパチンコは
非難すらされない。残念ながらそれが世の理のようである。










大相撲の野球賭博問題について - 日本が好きなだけなんだよ