洞窟礼拝堂が伝え残されたことは貴重である



隠れキリシタン洞窟礼拝堂(大分県竹田市)


凝灰岩(ぎょうかいがん)をくりぬいたこの洞窟は、一四世紀頃のローマの洞窟礼拝堂によくにている。
こうした点で洞窟礼拝堂としては全国でも例を見ない。

内部は、幅三メートル、奥行三メートル、高さ三・五メートルで、正面奥の壁をほりこみ祭壇として使用していたと考えられる。

この洞窟に関係すると思われる資料「日本切支丹宗門史」に「宣教師フランシスコ・ブルドリノが伝道に従事した地方(竹田・直入地方) 即ちシンガ(志賀?)の殿の一人が、神父の居場所を知りながら、眼を閉じていた」とある。

豊臣秀吉はキリスト教の禁止を行なった。江戸幕府もこの政策を引き継いで強化し、 島原の乱(1637年〜1638年)から、全国的にキリシタンの大弾圧が行なわれた。

岡藩においても例外ではなく、元和五年(1619年)十月に宗門改めを始め、翌年から厳しいキリシタン狩りを行い、多くのキリスト教信者がとらえられた。 このような厳しい時代を経て、この洞窟礼拝堂が伝え残されたことは貴重である。